西方寺について

西方寺の歴史

この寺の起源は今より千三百年前奈良白鳳時代にさかのぼります。
当初は法相宗の寺院でしたが、鎌倉~室町の戦乱期に幾度と無く
焼失しました。
天文年間、福岡四十八ヶ寺復興の折、僧行明はここに浄土宗寺院を
建立しました。
雄大かつ荘厳な伽藍であったと『筑陽記』に記されています。
正面を西向きにした現本堂は大正十三年の建立ですが、
妻入り入母屋形式は見事です。

御本尊について

ご本尊は行基作と伝わっています。
元々噂に霊験あらたかな阿弥陀佛像であったことから、源平の時代に平重盛がこれを護り本尊とし崇めていました。
源氏に追われた平家は西海に流され、壇ノ浦で最後を迎えました。佛像はその後大宰府に残され、国司によって筑前天山の御堂に安置されました。
さて、康安元年(一三六一)、大宰府の主大鳥居信高は、筑後水田庄に館を建て、筑前・筑後・肥前・肥後・豊後の五国に天満宮領を抱え、威をふるっていました。

時に応安元年(一三六八)、筑前・筑後の守護職少貮冬資はその立場を利用してこともあろうに天神山の木を乱伐していました。この行為に社徒や社僧数百人が冬資打倒を決意。冬資はこれを知り憤り大軍をもって武備無き彼らを壊滅に追い込むのでありました。社徒の大将大鳥居氏も矢を受けこの時命を落とします。
その子亀松丸は母の懐にもぐり御輿で裏門より逃れています。水田庄を目前に後を振りかえると、少貮冬資の軍勢がすぐ背後まで追っていていました。慌てて進路を南に変え、天山の阿弥陀堂に逃れたのです。もはやこれまでかと二人は堂内で一心に阿弥陀佛に縋るのでした。
「私共は天神本地の極樂教主と一体分身です。今一度命をお救いいただけるものならば、あなた様を水田庄の館に御安置申し上げ、大鳥居家の御本尊として永遠に崇め奉ります」と祈念しました。すると佛身より無量の光が発せられ、光は霊空に届き、次の瞬間黒雲が天を埋め尽くし激しい豪雨を降らせました。更に裂けんばかりの雷鳴が轟き、落雷は追っ手の軍旗竿にめがけ次から次へと閃光を結んだのです。恐れをなした軍勢は散り散りに退散、亀松丸と母は間一髪一命を取り留めました。
大鳥居家にこの不思議な家運をもたらした出来事から光雲院と号し、大鳥居家(現在の太宰府天満宮西高辻家)の御本尊となったのです。その後明治二十五年この本尊は今の西方寺に帰ったのです。
まさに御本尊の見守りにより、歴代上人と、檀信徒によって今日まで護り継がれてきました。

行蓮社念譽覚阿行明上人 略伝

行蓮社念譽覚阿行明上人 略伝

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福岡県筑紫野市天山234

電話番号:
092-926-2227

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